傘盗まれる
帰国まであと10日なので一日一日を大切に過ごそうと誓った次の日の朝に2度寝をかます不届き者。
朝起きると愛用していた折り畳み傘がなくなってました。
お気に入りの傘だったし姉からのプレゼントだったので普通に悲しい。
サブバックとして使っているサコッシュに入るくらい小柄で軽量だったので旅行に最適な傘でした。
実は姉からもらった傘を盗まれるのはこれで2回目。
しかも一回目は普通の傘をコンビニの外の傘立て刺していたら盗まれました。
姉からもらった傘盗まれる選手権があったら優勝する自信しかありません。
これからどうやって東南アジアの突然の雨を凌いでいけばいいのか、まったく困った。
昨日きたカリフォルニアガールもすでにいなくなっていましたが彼女のベッドにはホットパンツが置いてありました。
『なるほど、物々交換というわけか。』と思いましたがサイズがどう考えても合いませんし日本人でこんなパンツを履きこなせるのはTOKIOの長瀬かB'zの稲葉かTMレボリューションの西川くらいです。
傘がなくなって朝からテンション低いですが今日はずっと行きたかったトゥールスレン博物館に行くので気を取り直していきましょう。
今日のスケジュールはトゥールスレン博物館に行った後、オリンピック会場に行ってそのまま近くのオリンピック市場に行く予定です。
トゥールスレン博物館は僕が泊まっているMad monkeyプノンペンから歩いて20分ほどの距離なので歩いていきます。
カンボジアには5年前にも行きましたがその時はプノンペンではなくシエムリアップに行ったのでアンコールワットなどを観ましたがトゥールスレン博物館には行かなかったです。
今回カンボジアのプノンペンを旅行先に選んだ一番の理由はトゥールスレン博物館に行きたかったからなので実物はどんなもんは気になります。
トゥールスレン博物館
着きました。これがトゥールスレン博物館です。
『これがそうなの?』と言いたくなるくらい地味な外観ですが周りを取り囲む壁と何重にも巻かれた有刺鉄線、コンクリート剝き出しの建物からは不気味な禍々しさみたいなものも感じられます。
入場料は5ドルなのでお金を払って入場します。僕の他にも団体の観光客がいました。
建物はだいたい3階建ての建物で一つのフロアに10個くらいの狭い部屋があって全部ではありませんが一つ一つ部屋に入って部屋の様子を見ることができます。
部屋のは錆びた金属製のベッドがあるだけでとても人が生きていくような環境でなく、ましてやここで人が虐殺されていたという実感も感じられません。
ただただ無機質で工事前の建物みたいな嫌な静けさだけがあります。
劣悪を極めたような環境ですがこの施設に2年9か月の間に約2万人ほどのカンボジアの知識人や反革命分子と断定された人が連れてこられて拷問や虐殺が行われ生き残ったのは僅か8人という壮絶な歴史を持っています。
何故そんな残虐行為が行われていたのか詳しく知りたい方は“ポル・ポト政権”や“クメール・ルージュ”で調べてみてください。
一応僕なりの解釈とネットで調べた内容を基に軽く説明すると当時のカンボジア(1976年から)の独裁者であったポル・ポトは『原始的な生活こそが人々を幸せする。』と本気で考えて国民に農業生産を従事させ原始共産主義革命を実現させようとしました。
その為文明的な要素は一切排除され学校、病院、工事はもちろん、銀行や通貨すら廃止され人々は車の移動も禁止され徒歩での移動と強制されられていました。
そんなハチャメチャ政策が上手くいくわけもなくカンボジアでは飢餓や栄養失調、過労などで多くの国民が亡くなりました。
その惨状を目の当たりにしたポル・ポトでしたが自身の政策には絶対の自信を持っており『こんな惨状を生んでいるのは政策を邪魔するスパイがいるに違いない。』と考え、ここからポル・ポトによる自国民の粛清が始まります。
まず手始めに高学歴の人や知識人、学校の先生や医者は原始的生活に反しているとして殺されます。
次に文字読める人、時計が読める人など少しでも知識がある人間は粛清の対象とされメガネをかけているだけでも殺されるという状況まで事態は悪化します。
そしてポル・ポトの政策の下で粛清を行った多くはまだ物の分別も付かない純粋な子供達だったといいます。
そしてこのトゥールスレンもそのポル・ポト政権のもと連れてこられた多くの知識人などが拷問され虐殺された場所なのです。
このトゥールスレンの看守としていた多くも子供達だったと言います。
カンボジアが地獄を化したポル・ポト政権の大虐殺も今から僅か40数年前の出来事だというのだから驚きです。
トゥールスレン博物館には当時収容されていた人の顔写真や当時の写真、拷問の様子を描いた絵なども展示されていて、それらを見ると当時の悲惨が状況が浮かんできます。
とても同じ人間がやったとは思えないような残虐非道な行為の数々ですが環境や状況に流されたり自己の保身の為には他人の命すらも容易に軽んじる弱い生き物が人間だということもトゥールスレン博物館を通して同時に認識しました。
日本との繋がりもあって、これは日本に留学に来ていたカンボジア人の若者が書いた物です。
彼はこの後カンボジアに呼び戻され処刑されました。
何故大規模な粛清が起きているカンボジアにわざわざ帰ったのか。と思う人もいると思いますが当時はネットもまだ発展していない状態ですしポル・ポトの政策によって文明的なものは一切排除されていたのでポル・ポト政策が国外に漏れることはなかったと言います。
それに加えてポル・ポトは国外で海外の技術を学んでいるカンボジア人も粛清の対象としていて、『これからのカンボジアを良くするために海外で学んだ君の能力が必要だ。』と噓をついてカンボジアに呼び戻し処刑しました。
国の為に尽力しようとした人を騙して殺す悲惨さ。この日本に来た彼も同様に殺されたのでしょう。
今のカンボジアの若者たちはこの惨劇を覚えていない人が多いみたいです。
語り継げる知能を持った大人達は処刑されていますし、そもそもこの惨劇を語りたがらない人も多いのが原因みたいです。
クメールルージュでの犠牲者は少なくとも170万人と言われていて当時の人口の約2割の人が命を落としました。
それによって人口の半数近くが知識のない若者たちになってしまって病院に行っても診察する医者が医師免許など持っているはずもない子供だったりとポル・ポト政権後のカンボジアにも多大な影響を与えました。
カンボジアの悲しい歴史を忘れない為にもこのトゥールスレン博物館に行って良かったと感じました。
ポル・ポト政権やカンボジアの歴史に興味がある人は是非行ってみてください。
次回
カンボジア旅行の一番の目的であったトゥールスレン博物館でしたがやはり行って良かったですね。
建物はもはやただの抜け殻というか物静かな場所ですが部屋にある錆びたベッドや床のシミからは生々しさも感じ取れます。
二度と繰り返してはいけない歴史ですがその歴史を感じられる貴重な建物だと思いました。
次回はオリンピック会場とオリンピック市場というプノンペンのマーケットに行ってみます。
カンボジアのマーケットはどんなもんか気になりますがナイトマーケットがイマイチだったので期待はほどほどしておきましょう。
カンボジア滞在期間も残り少ないですが存分に楽しんでいきます。
ということで今回の記事はここまで。
皆さんもプノンペンに行った際には是非トゥールスレン博物館を訪れてみてください。
あと傘の盗難にはご注意を。それではまた次の記事で会いましょう。
ありがとうございました!