水戸での生活

今週で10月から住んでいる水戸とお別れなので水戸での思い出を語っていこうと思います。
とは言ってもほとんど仕事ばかりの生活だったので仕事の思い出しかないのですが語ります。
最初は年内に終わる仕事だと聞いていたので2ヶ月ちょっとの仕事だと思ってました。
仕事内容もざっくりとしか聞かされず、あまり経験したことのない仕事だったので不安もありましたが一人暮らしで給料良かったので2ヶ月の辛抱だと思い働き始めました。

いざ働いてみると仕事が楽すぎてびっくり。
というかほとんど何もしてない日もあったり、最高の職場に出逢えと思ってました。
この時までは、、。
そんな生活が数日続き、水戸での生活にも慣れてきて一人暮らしは快適そのものでした。
部屋に帰ってきてYouTubeを観ながら好きなご飯を食べ、筋トレをして、ブログを書いたり勉強する生活。

仕事が楽な分、自分のやりたい事に集中出来て充実感も高かったです。
しかしそんな夢のような生活は長くは続かず段々とストレスフルな生活へと変貌を遂げていきます。
というのも何かと状況がコロコロ変わる職場でそれに振り回される日々。
しかも今まで仕事が終わったら早く帰れたのですが、上の人への印象が悪いということでわざわざ休憩を挟んで退勤時間をずらさないといけなくなるというバグが発生します。

仕事が終わらないとか遅れていて帰れないならまだ分かりますが、なんで人のご機嫌を取るために遅く帰らないといけないのか僕には理解できません。
確かに定時の2時間くらい前に帰っていたのでそっちの方がバグかもしれませんが、いいじゃあん。早く終わったんだし。
まずは本来帰れる時間に帰れないというストレスを与えられる日々を送ることになります。

そこからまた数日が過ぎて僕は年末年始の台湾旅行に行きました。
仕事のストレスで偏頭痛や顔面痙攣を起こしていましたが台湾に行った途端に収まりました。
やはり労働は人にとって害ですね。
10月から12月までのおよそ2ヶ月はそんな感じです。
最初は神職場かと思いましたが状況はどんどん悪化していきました。
それでも今まで経験した仕事の中ではかなり楽ですし、生活環境も恵まれていたのは間違いないです。

そして年が明けて2024年。
台湾から帰ってきても相変わらず週5で働く日々が待っていました。
この頃になると残業も増えてきて、せっかく台湾で発散したストレスが速攻で蓄積される事態に。
毎日投稿も継続していたので台湾の記事を書くのに追われる日々で結構大変でした。
それでもなんとか毎日投稿を続けることができました。

その後も色々な出来事が起きました。
仕事でやらかして上司が令和とは思えないくらい大声で机を叩きながらブチギレたり(僕、個人ではないです)、いきなり来週が仕事がなくなる。と言われたり、プライベートではタンタンでタイ人に出会ったりとイベントてんこ盛りの生活でした。

年内に終わるはずの仕事はどんどん延長されて気が付けば次の年の2月になってました。
仕事も比較的楽で給料っも良くて一人暮らしなので延長で全然嫌ではなかったです。
2月の一旦地元に帰って別の天井のボルトを7時間磨く仕事したりして過ごした後、3月にまた水戸に戻ってきました。
3月は怒涛の残業ラッシュで今までは月に一回、多くて2~3回くらいでしたが3月は週に1回は必ず残業をするはめに。

そんな残業ラッシュもなんとかやり過ごしとうとう4月まで来てしまいました。
当初は12月には終わる予定の仕事でしたが倍以上の5ヶ月間、結局水戸に過ごすことに。
そんな生活もあと3日で終わりです。
楽な仕事や一人暮らしの快適な生活が終わってしまうのは悲しみですが、仕事から開放される喜びの方が強いです。

正直この環境にも飽きてきていたので終るにはちょうどいいタイミングでした。
やはり僕は長期間同じ場所で働くのはあまり得意ではないみたいです。
ですがこの職場で働けたのは僕にとってかなりいい経験だったのは間違いありません。
ということで次は数少ない水戸での仕事以外の思い出をまとめてきます。

水戸の思い出

ラーメン

水戸で一番食べた外食はマックかラーメン。
特にラーメンは印象に残っていて水戸で行ったラーメン屋はどこも美味しかったです。
僕が行ったのは水戸にある“むじゃき”と土浦の“特級鶏蕎麦 龍介”、あと名前を忘れたラーメンが2軒あります。
名前を忘れるくらいなのであまり好みではなかったのでしょう。
むじゃきは個人的にすごく良かったので2回いきました。
写真は上からの『むじゃき』、『特級鶏蕎麦 龍介』、最後に名前を忘れたラーメン屋です。
調べたら“麵屋、赤龍”というラーメン屋でしたが閉業していました。
味噌ラーメンでしたが僕の苦手な野菜マシマシ味噌ラーメンだったので好みではなかったです。。
僕は田所製麵くらいの味噌ラーメンがちょうどいい。

最後にもう一度行くとしたらやはりむじゃきですかね。
味はもちろんのことメニューのバリエーションっも豊富なので自分が食べてないラーメンに挑戦したいです。
是非水戸に行った際はむじゃきのラーメンを食べてみてください。

水戸駅周辺

以外と大きかった水戸駅。
大きいだけで特にこれといった物はありませんでしたが見応えはありました。
水戸黄門の像も飾られているので記念撮影もできます。
ただ駅前で人も多いので少し恥ずかしいです。

他にも水戸藩にまつわる建造物や、よく分からないけど大きい門もありました。
この門は夜ジム行くときに通っていたので思い出深い建物です。
結局ジムも全然行かなくなってしまいました。
原因は外出るのが寒いのと、宿が変わってジムから遠くなってしまったこと。
さすがに仕事終わりに片道35分は厳しかったです。

土浦

特に写真とかはないのですが唯一遠出したのが土浦でした。
友達と一緒に行きましたが、これまたこれといった物はありませんでした。
駅の中にある特級鶏蕎麦 龍介でラーメンを食べてカラオケに行ってから、サイゼリヤでご飯を食べて帰りました。
なので写真とかは全然ありません。

思い出に残っているのはサイゼリヤで東南アジア旅行の計画を立てたこと。
この時は飛行機も予約して本格的に旅の準備が始まったって感じがしました。
そこから2ヶ月が経ち、もう来週には出発前夜です。
待ちに待った日が来るので楽しみしかありません。
土浦の思い出はこんな感じです。

まとめ

今回は水戸での思い出をまとめてみました。
華やかな思い出ではないですが、なんともない日々の生活の積み重ねみたいな思い出も僕は結構好きです。
ストレスが貯まることも多かったですが生活環境も労働環境も今までの僕の環境と比べたら格段に良かったので2023年、そして2024年の始まりをこの環境で過ごせた事は僕にとってかなり良かったと思います。

休みの日とかもっと水族館や大洗の海など観光できたら良かったですがとにかく毎日眠かったのと記事に追われていたので休みの日に出掛けるモチベーションはなかったですね。
5ヶ月という長いのか短いのか分からない期間ですが凄く充実した5ヶ月だったと思います。
これから地元に戻っても今まで通り自分のやりたいことを頑張ります。

ということで今回の記事はここまでです。
こんな事を言うのはあれですが恐らく自主的に水戸に来ることはもうないでしょう。
なので残りの3日間、水戸の風景を目に焼き付けて地元に帰りたいと思います。
それではまた次の記事で会いましょう。
ありがとうございました!