ぼっちだった僕を救ってくれたタトゥー兄さん

初めての海外生活、初めての語学学校、初めての外国人との共同生活にもようやく慣れてきたのはフィリピンに来て2週間あまりが経った頃です。
この頃になると生徒同士の緊張をほぐれてきて友達が出来たりコミュ力がある人は友達と遠出して遊びに行ったりと充実した学校生活を送っていました。

しかしながら人見知りの癖に群れることはダサいことだと思春期特有の尖り方をしていた僕は2週間経っても未だにぼっちでした。
それでも孤高を気取っていた僕は積極的に話しかけることもなくご飯時も音楽を聴きながら一人で食べて自分から他人との距離をとってしまっていたのです。
本当に他人に興味がなく一人でも平気だったわけでもなく、やっぱり人の目は気になるので自分の部屋にいるのではなくわざわざ共有スペースに行って自前のノートパソコンで海外のバンドのライブをYouTubeで違法視聴して誰かに話しかけられるのを待っている完全に痛い子でした。

そんな他の人と仲良くしたいのにできない自分を孤高だと勘違いしているアホな僕に唯一いつも話しかけてくれたのはタトゥー兄さんでした。
タトゥー兄さんって誰ぞやと思った方は僕が過去に書いた“初めて行ったフィリピンの話”シリーズを読んでください。
朝一のグループ授業が一緒だったこともあり次第に仲良くなった僕とタトゥー兄さん。
初めて空港で会った時は完全にヤバい人の絡まれたと思って失礼ながら距離を取ろうとしてましたが話していくうちに見た目は怖いですけど悪い人ではないと気付きました。
そしてそんなタトゥー兄さんは友達が欲しいのに孤高を気取っている僕を助けてくれたのです。

共有スペースでひとりぼっちでいる僕に話しかけてくれて、他の日本人の生徒と僕を繋げようとタトゥー兄さんが既に仲良くなった日本人の生徒を紹介してくれました。
きっかけを与えてもらって話しやすくなったので次第に僕も他の日本人の生徒と話す機会が多くなり遂にフィリピンで初めて友達が出来ました。

タトゥー兄さんがもし違う時期に来ていたら僕はおそらくぼっちのままだったと思います。
ぼっちの僕を救ってくれて素敵な友達と出会わせてくれたタトゥー兄さんには本当に感謝しかありません。
海外に来てまで日本人同士でつるむなんてダサいし、英語を勉強しにきたのだから日本人と関わる意味なんてないと思っているあなた。
気持ちはすごく分かります。しかしそこでの出会いは貴重な出会いですし彼らとの思い出は一生の思い出になるでしょう。僕が保証します。
例え日本人と時間を共にしても日本語使わないという自制心があれば英語は上達するので貴重な出会いを無駄にせず楽しい留学生活を送ってください。

1ヶ月経過した僕の留学

友達もできて楽しい留学生活の始まりですが一番大事なことは英語の勉強です。
毎日のスパルタ授業を1ヶ月生き抜いた僕の英語力はどれほど成長したのか。
結論からいうと来た時と比べたら目に見えて成長したと思います。
そもそも中学校不登校だった為まともに英語を学んでこなかったので初歩的な文法すら曖昧な感じでしたが基礎を最初の1ヶ月でみっちり教え込まれたので基本的な文法は理解できるようになってました。
そしてパターン英語を学んだことによって簡単な会話を少しずつできるようになり日本語で話してくれてた韓国人のルームメイトとも英語で話すことができるまで成長しました。

また最初の1ヶ月の生徒は普通の授業が終わった後に特別授業があり、そこでは毎日20問くらいの単語テストを行います。
短期記憶には自信があったので単語テストだけ良い点を取れるように通常の授業が終わった後も部屋に戻って必死に単語テストの勉強しました。
その結果1ヶ月を通して単語テストの総合得点が一番高かった生徒に送られる“ボキャブラリーキング”の称号を手に入れることが出来たのです。
単語テストもクラスに分けられていたので僕は一番下のクラスのボキャブラリーキングでそんなにすごくはないですが努力が認められた気がしてとても嬉しかったですね。

パインズには月末に全体テストがあってテストの結果によって来月の自分のクラスが決まるのですが必死にパターン英語や単語の勉強をした甲斐あってか僕はクラスを一つ飛び越えて2つ上のクラスになれました。
なんと順風満帆な留学生活だと思った人もいるでしょう。
しかし僕が目に見えて成長出来たのは最初の1ヶ月だけでした。
今思うと最初の1ヶ月の努力をずっと続けていればもっと英語が上手くなったと後悔してます。
なぜ僕の英語の成長が停滞してしまったのか、それは調子に乗ったからです。
飛び級できたことに浮かれて今までしていた努力を疎かにして自分の能力を過信していました。

5ヶ月間僕はバギオの語学学校にいましたが、結局その後僕の英語力の成長は微々たるもので下手したら横ばいだった可能性もあります。
やはり継続こそ力なりですし、うまくいっている時ほど地に足をつけないといけないことを痛感しました。

さようなら、タトゥー兄さん

パインズは1ヶ月ごとの更新なので1ヶ月経ったということは帰ってしまう人もいるということです。
そして我らがタトゥー兄さんも1ヶ月だけの留学だったので帰国することになりました。
思い返せば空港で会ったあの日から8年たった今でも忘れることもない思い出ばかりです。
タトゥー兄さんは他の生徒だけでなく先生たちにも好かれていたのでみんなタトゥー兄さんとの別れを悲しんでました。

パインズでは1ヶ月の終わりに卒業式も兼ねて卒業パーティーが毎月開催されます。
卒業パーティーでは生徒や先生が歌や踊りを披露して卒業生を見送り、卒業式という大義名分のもと騒ぎちらかすのです。
普段スパルタ教育で学校に缶詰状態の生徒や先生たちもその時ばかりは羽目を外して狂喜乱舞。

そんな卒業パーティーが始まる前の準備中、突然タトゥー兄さんがマイクを手に取ります。
そして始まったのがなんとタトゥー兄さんによる即興ラップコンサート。
あまりの衝撃に会場は割れんばかりの大歓声。
まさかの本番よりもリハーサルのほうが盛り上がってしまうという異例の事態になります。
最後の最後に伝説を残していったタトゥー兄さんは本番の卒業パーティーには現れませんでした(笑)

いよいよタトゥー兄さんが帰国する日。
仲の良かった僕の友達数人で最後にタトゥー兄さんとの食事会を開くことに。
みんなで楽しくわいわい食事をしているとタトゥー兄さんがトイレで席を外します。
食事も食べ終わってみんなで会計を済ませようと伝票をみると数人でご飯を食べたとは思えないほど少額な金額が伝票に書かれていました。
みんな戸惑いながらも、めちゃラッキーじゃあん!と大喜び。
しかし僕はタトゥー兄さんがトイレに行った時に大部分を払ってくれたのだと思いました。
このままお礼もせずにいるのは申し訳と思った僕は思い切ってタトゥー兄さんに聞きました。
『さっきの会計払ってくれたのタトゥー兄さんですよね?』そう言うとタトゥー兄さんは一言。
『いいんだよ、そんなこと』と笑ってました。どこまでもカッコいいタトゥー兄さん。

タトゥー兄さんの影響は凄まじく全然知らない先生や韓国人に『おい、○○っていう日本人いたの知ってるか?』と聞かれるほどでした。
そんなタトゥー兄さんと同じ時に学べたのはすごくラッキーだったと思いますし、すごく楽しかった。
今でもたまにインスタのDMやりとりするくらいあの時の絆は深いですし僕にとって忘れられない人の一人です。

次回

次回は2カ月に突入したバギオ留学の様子を書いていきます。

2カ月はめちゃ浮かれて遊びまっくてましたので、どこに遊びいったのか

どんな遊びをしたのかも紹介したいと思います。

また僕にバギオを紹介してくれた友人ともバギオで遊んだのでその様子も!

ということでまた次の記事で会いましょう。ありがとうございました!