苦難の連続連続。
なかなか僕にとって厳しい月となりましたが月初めはかなりルンルンだったと思います。
というのも10月働けば僕は労働という地獄から解放されてジョージアに行けるから。
あと1ヶ月、この10月さえ乗り越えれば念願だったジョージアに行けるわけです。
なので10月はやれることをやるだけ。
仕事をしながらブログを書いて、筋トレをして、ジョージアに行く準備を整える最終段階の月になるはずでした。
ですが現実は非常なもので僕はマイコプラズマ肺炎と難聴に苦しめられる事になります。
今思い返すと難聴の兆候は月の始めくらいからあって右のイヤホン聞こえが悪くっていました。
ただ別にそこまで気にすることもなかったです。
そし不幸の連鎖が始まります。
まずは母親が熱々ドリアをこぼして火傷しかけるという事件が発生。
幸い父親の夕飯が吹っ飛んだだけで済みましたが、これが全ての始まりでした。
それから数日後、父親がバイクで事故を起こします。
30年以上バイクを乗って毎日のように通勤で乗っているバイクで今まで事故ったことはありませんでした。
そんな父親が事故を起こして更に肋骨を骨折します。
これも幸いのことに単身の事故だったので被害は父親だけでしたし、命に別状はありませんでしたが入院する父親を見るのも人生で初めてです。
不幸の連鎖は止まることなく、今度は妹が原因不明の病で朝から嘔吐します。
妹と数日したら元気になりましたが、ここまで身内で不運が続くと嫌でも次は自分じゃないかと思ってしまいます。
そして、その予想は的中しました。
10月6日に友達とカラオケに行くのですが前日からめっちゃ喉が痛い。
ですが久しぶりにカラオケで熱唱したかったので強行しました。ちなみに前より高音出ました。
家に帰ると身体がだるい。
熱を測ると微熱でした。
ですが次の日も仕事だったのんで暖かくして寝ます。
改善している様子はないですが、なんとか行けそうなので仕事に行きました。
しんどいながら仕事から帰ってきて熱を測ると38℃を越えています。
さすがに次の日仕事を休んで病院には行かず自宅で療養しました。
熱は2~3日で下がりましたが謎の微熱と咳が続きます。
結局1週間くらい休んで仕事に復帰しました。
咳はしんどいですが身体は動くので普通に仕事をしていましたが、これくらいから耳の聴力が著しく悪くなっていきます。
そして耳も痛かったので仕事終わりに耳鼻科に行って中耳炎と診断されます。
それから1週間後、別の耳鼻科に行って突発性難聴されこの次の日に耳がほぼ聴こえなくなりました。
突発性難聴の治療は安静が絶対なので仕事も休んで自宅で療養しますが耳が聴こえないまま、3日後に同じ耳鼻科に行きます。
僕の症状は突発性難聴とも違うらしく原因不明も不明なので大病院を紹介され大病院に行くことに。
そして10月30日に大病院に行ってきました。
ということで10月8日からはマイコプラズマ肺炎と難聴に苦しめられながら仕事も満足にできずに自宅で療養する日々。
ジョージアに行く最終準備をする予定が自宅で治るのか分からない難聴の不安を抱えながら過ごしていました。
元々10月まるまる働くつもりでしたが半分くらいしか出勤できてません。
資金的には行けなくなることはありませんが不安材料は増えました。
正直予定していた11月15日にジョージアに行けるか分からない状況です。
ただ右耳の聴力は日に日に良くなってきてはいます。
ということで散々な10月でした。
正直かなり落胆していますが、この日々が何か意味があった日々だったと思えるようにしたいです。
それに予定は狂いましたがジョージアに行けなくなったわけでもないので切り替えて今自分ができる事をしっかりやっていきたい。
明日から11月なので月も変わることですし気持ち切り替えて頑張ります。
それではまた。